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アニメ ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話と桜坂しずくの話

さて、ここ数年規模はさておき、「アイドル」を題材にした作品について身内で話題にすることが多くなってきたような気がしています。

ただ、ここでちょっと考えてみたいのです。

 

「そもそも、あなたはアイドルとはなんだと考えていますか?」

 

閑話休題。アニメ ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話見ました。

この作品に関してはスクスタの流れもあり、最初から桜坂しずく、朝香果林の2名推しという目線で臨んでいました。

毎週毎週各メンバーについて描かれ、新曲も発表されるというなかなか豪華な構成がされており、彼女らのお当番回いつだろなーとか考えてたら、まさかの最後に2人連続でくると。

ここまで完全に自分も楽しみつつ、他の人の反応も楽しみつつで過ごしていたわけですが、どうも7話終わった辺りから「ツギハアナタノバンデスヨ?」みたいな視線があちこちから。

かましいんじゃわい。俺様が備えて無いわけなかろうが。どういう話になり得るかというのは今までに各媒体で語られた内容を元にある程度予想はつけとるわい。

 

ということで。いや、最初はツイッター辺りで140字×3くらいで収めるつもりだったんすよ。ただ、色々と考えていく内に発信すべき内容が増えてきて、「あ、これ1000字以上使うわ」と判断。ここで書くこととなったのでした。

 

というわけでここから畳みます。

本記事にはアニメ ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第8話と、スクスタでの桜坂しずくキズナエピソードのネタバレをがっつり含みます。

後、ちょこっとラブライブ!サンシャイン!!の話もします。

 

というわけで。

早速見ていきたいと思います。

登場するのは一つの舞台。

そこにサスペンションライトによるスポットで一人の少女が抜かれる。

少女は夢を語る。

そこに、それを否定する黒い衣装の仮面を纏った存在が現れる。

 

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「あなたはわたしだもの」

 

(ちょっと待てやボタンを押す音)

全く想定していなかった方面の話が出てまいりました。

この回で劇中劇要素がくることは織り込み済みです。

ただ、「白と黒の対比による内面と外面の表現」というのは大問題なんですよ。

一瞬で想定が丸くずれしました。

(実はこの構図自体、別の問題が発現していたということに、視聴した翌日気づいてしまったのですが、これは後述します。)

前述の台詞を聞いた際の私はこう思ったわけです。

 

「ペルソナだこれ!!!!」

 

というわけで、今回は「演じる」という側面と「自分を見せる」という部分の折り合いが主眼に置かれる話となっています。

 

冒頭の新聞部でのインタビューでしずくちゃんはこう答えています。

「私は愛されるスクールアイドルを演じたいと思っています」

これは既存の話としては1曲目の「あなたの理想のヒロイン」の文脈に近い発言です。

ここで注目したいのは「スクールアイドルになる」ではなく「スクールアイドルを演じる」という言い方をしているという点。

更には「皆さんにとって理想のアイドルを想像して、その子に成り切るんです。」と続いています。

この部分について私は一切否定はできません。

パフォーマーとして、求められているものを考えて提示することは当たり前のことだし、後述しますがこの子はそれを間違いなく楽しんでやっているからです。

 

ただ、それが今回問題になってしまったのが「演劇部」の方での動き。

本来主演だったはずのしずくちゃんは突然部長に降板を言い渡されます。

 

「この役は自分をさらけ出す感じでやってほしかったの」

 

今までこの子が舞台に立つ時に使っていた方法を封じられてしまう形となってしまいました。

というか、ある意味ではそれは地雷ですらあったわけです。

 

アニメ内でも再び劇中劇の形を借りて語られています。

 

 「子どもの頃のこと、覚えてる?

  みんなと少しだけ違う。

  ただそれだけのことだったけど、

  私はいつも不安だった。

  誰かに変な子って思われたら?

  嫌われたらどうしよう?

  いつもそんな風に思っていた。」

 

この辺り、ここまで強く描かれたのははじめてではないかと思います。

ただ、改めてスクスタのキズナエピソードを見返してみると、片鱗は存在していました。

しずくちゃんキズナエピソード2話です。

物語を空想することが好きな彼女は、小さいころに友だちとしていた「ままごと」でも、かなり凝った設定を取り入れまくった結果、最初は面白がってた周囲も段々とついて来れなくなってきてしまったというエピソードがありました。

(創作者テンション上がるとやりがちなやつ)

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こういった経験から、遠慮がちになってしまったのではないかと推察できます。

 

最終的に、かすみんからの叱咤を受け、再オーディションに臨み、無事に再び役を掴み取ることができた形となります。

  

  「嫌われるかもしれないからなんだ?

   かすみんだって、こーーーーーーーんなにかわいいのに、

   褒めてくれない人がたくさんいるんだよ?」

 

この叱咤の仕方が余りにかすみん過ぎて、これはしずくちゃんでなくとも「ふふっ」となってしまうもの。

 

ところで、今回彼女が直面した課題は実は「スクールアイドル」としての文脈はさほど強いものではありませんでした。主眼に置かれていたのは「演劇部」の活動だし、それも包括した「舞台上で自分を出すということ」という部分が主眼かと考えられます。

 

実は既に、「スクールアイドル」を「演じる」ことについての文脈は語られていて、それがソロ2曲目の「オードリー」に関わるキズナエピソードとなります。(6話~14話辺りです。)

というかそこでズバリ言われていました。

「完成度自体は高い。しかし、「桜坂しずく」が見えないが故に物足りないステージと感じてる人が多い。」

(この辺は諸説あるとは思うんですけど)

が、しかし結局の所、彼女は演じ続ける事を選びます。

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結局のところ、彼女はそれが好きだからなんですよね。
キズナエピソードでは「とはいえ、今までは表面上しかできていなかったから、これからはもっと考えて演じてみよう」という結論に至っています。

 

ちなみに「オードリー」という曲では、彼女の理想の女優像が描かれています。

アニメ第8話とも繋がる歌詞の曲ですので、まだ聞いたことが無い方は是非聞いてください。

ただし。

 

  「苦悩なんて見せちゃいけない」

 

こんなフレーズがあります。ここからは前に進むことが出来たのではないでしょうか。

さて、別のフレーズを引用します。

 

 「憧れのオードリー

  だってきっと so Loenly

  でも輝く眼差しから想像もできない」

 

私はこれが桜坂しずくの考える理想の女優像に近いものと捉えています。

そして今回の新曲。「Solitude Rain」。

直訳すると「孤独の雨」。劇中劇のタイトルに合わせて「荒野の雨」と意訳もできます。

けどやはり「Solitude」というワード。目指すものは「孤高」なのかなと捉えてしまいます。

 

ところで、新曲の衣装がこちらです。

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「黒」と「白」が合わさっており、「演じて」いた、外に見せていた「白」と、「内面」であり、自身の「弱み」でもあった「黒」とをどちらも内包している、それらを全て受け入れているといった意匠の衣装(駄洒落ではない)です。

この衣装になる演出も目を見張るもので、「白」という表の自分が「黒」という「内面」の自分を「受け止める」という演出がなされています。

 

ところでなんですけど。

「白」と「黒」 + 「二面性」 というキーワード、どっかで聞いたことありませんか???

 

じゃあもうちょっと具体的に言いますよ。

ラブライブシリーズの、とある曲のフレーズです。

 

 「white wing」「black wing」

 

ここまで言えばお分かりになるでしょうか…… 

そう、この子です……

 

ギランッ

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我らが堕天使ヨハネさんです。

 

今回の話、この子と同様の文脈が多分に含まれているんです……

(この構図はリアタイ1日後に突然気づいてしまいました。気づいた時にはリアルに頭を抱えました……)

 

サンシャイン1期5話の話です。

この子は本来自分が演じている「ヨハネ」という人格を「高校生になってまですることじゃない」と否定し、封印しようとしたが、千歌ちゃんはじめ、既にAqoursのメンバーとなっている面々から「それでもいい。むしろ、好きならそうあるべき。」と背中を押され、今までの自分の在り方に胸を張れるようになるという流れでした。

 

丁度今回の話題とは対極になっていると考えられます。

 

ヨハネ:演じている自分は受け入れられないだろうと考える

しずく:演じていない自分は嫌われてしまうのではと考える

 

ヨハネとしての人格が演じているものであるかどうかという問題は、またややこしいことになってくると思いますので、今回は横に置いておきます。)

 

こういう側面があるので、この問題については「どちらが良い」という答えは存在しないと思っています。

実はこの部分について核心を得た発言をしているのが天王寺璃奈なんです。

かすみんと二人でしずくちゃんについて話をしている時に、

「知らなかった。しず子があんな頑固だったなんて。」というかすみんの発言に対し、

「きっと、今のしずくちゃんしずくちゃんだよ。」と返しているんです。

これは別の記事でも書いたと思いますが「ペルソナは使いこなすもの」であるべきと私は考えています。

そういう意味では「演じたもの」であろうが「素」であろうが、「オリジナル」であろうが「オルタナティブ」であろうが、その人物から発されているものである以上、ちゃんと「その人物の側面」なんです。

これは邪推ですが。璃奈ちゃんもアニメでは6話きっかけで「璃奈ちゃんボード」を使うようになりました。ある意味では「璃奈ちゃんボード」も仮面のメタファーと取ることができるのではないかと思います。しかし、璃奈ちゃんはそれも完全に「自分の一部である」と受け入れている。だからこそ言えた台詞なのではないかと私は考えています。

 

少し話の方向性を転換します。

今回の話で、台詞自体は少ないながらも重要なファクターとなったのが「演劇部の部長」さんでした。

顔見せは2話の段階で既にされており、当初私もしずく回は二つの部を掛け持ちという側面から、この人とひと悶着起こすんじゃないかと予想していました。

急にしずくちゃんを「降板」という流れだけ見るとネガティブに見えるんですが、話し方の様子などを見るに、多分この人、普通に良い人ではあるんだろうなぁと予想ができます。今回の判断もある程度ドライではあるけれど、「今回は違うなぁ」と思った結果で、しずくちゃんに対して悪意をもってるわけでもないし、そういう面からはしずくちゃんは両方の部でうまくやっているという部分も推理できるので、非常に良いと思います。

 

さて、冒頭の質問です。

俺は「アイドルというのは"世界"を表現するための一つの手段である」と捉えています。

ある意味では演劇と同様になります。

なんだったら究極的には音楽ライブなんかも自分はそう捉えているところがあります。

しずくちゃん自身、スクールアイドルをやっているのは女優になるという最終目標のため、表現力を磨く目的があるとされています。

そういう意味では、彼女にとっても「演劇」も「スクールアイドル」も等しく「舞台」であり「同価値」なのではないかと思っていますし、そうだったらいいなと思っています。

 

そういえば、冒頭で「ペルソナだこれ!!!!」という発言をしました。

こういった「内に秘めている、表に出してはいけないと思っている自分と向き合う」という文脈が思うところがあった方は是非「ペルソナ4」に触れてみてください。

ゲーム作品ですが、アニメの出来も良いので、そちらで触れてもらうのも良いかと思います。

登場キャラが皆それぞれ表に出せないものを抱えていて、それと向き合っていくという流れがあります。

 

最後に。これはほんとうのほんとうにおまけ話。

私自身、大学出たら芝居という分野でより活躍するために上京することを考えていたことがあります。

というかぶっちゃけしたかったです。実家が許してくれれば。

関東で活躍してる方から直接声をかけてもらったこともありました。

なんらかの形で向こうで就職先を得れば実家もぐうの音も出まいと思って暗躍していたこともありましたが、なかなかうまくいかなかったわけです。

 

しかし、そこで上京していたら間違いなく自分はこの記事を書くような出来事には出会わなかっただろうし、この記事を見てるような連中に出会う事はなかったと思います。

何が良くて何が悪いという次元でくくることはできません。

ただ、これもまた奇縁なのだろうと思いながら。

 

 

 

ところで、来週もなんですか……?